うろここる ~ウロコインコのここるの日常~

ウロコインコパイナップルのここるの成長記録

さよならレイクちゃん 【27歳ご長寿オカメインコの記録】

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レイクちゃんがお星さまになってお空に旅立ったのは、2011年のこと。

もうあれから7年も経っただなんて、今これを書いていてちょっとびっくりしています。

当時書いたブログ記事をこちらに移動させることにしました。

鳥さんが老衰で亡くなる経験ってしたことがない人がほとんどではないかと思います。

読み返してみて、あの時のことを思い出すと今も胸が痛みますが、本当に親孝行な子でした。

 

 

5月21日未明、オカメインコのレイクちゃんがお空に旅立ちました。

今日、お葬式をしてきました。

 

昨年12月10日に27歳の誕生日を迎え、まだまだ老いた感じもなく元気いっぱいでしたが、ここ1ヶ月くらいで急に老けこんで、さすがにおじいちゃんぽくなったなぁと思わざるを得ない感じでした。

足腰が弱ってきて、止まり木に止まっているのがつらくなってきたようで、 床でじっとしていることが増えました。

たまに思い出したように止まり木に上っていくのですが、握力が落ちているので ゆらゆらしてしまい、動くと足を踏み外して下に落ちてしまうこともありました。

深く眠ってしまうと、大きな声で名前を呼んでも聞こえなかったりもして、 本当に老いていくのって人間と同じだなぁと思いました。

 

私と暮らした子たちは、みな病気で亡くなっています。 こんなにも長生きして、もしかして死因は老衰かも、なんてのは初めてのこと。

大往生だったね、と言えるような安らかな最期であって欲しいと願わずにはいられませんでした。

 

20日、ヴィジェと葉山に出かけて帰って来た時にも、床で休んでいるようでした。

たまに止まり木に止まってみるものの方向転換ができないらしく、また足を踏み外してしまいました。

かごから出して腕に乗せてみると、やっぱり脚の力がないなぁという感じ。

羽の力もなくなっているので、どうしても羽が下がってきてしまい、 歩いていると自分の羽を踏んで転がってしまって、床でもがいているのを助け起こしたりもしました。

まだゴハンも食べているようだし、まだきっと大丈夫と思いましたが、そんなレイクちゃんの姿を見て、ものすごく不安になってきました。

今日は、転がってもどうにか自力で起き上がれても、 いつかは本当に自力で起き上がれなくなる時が来るだろう。

帰宅したら、羽を広げて、首がねじれて床に横たわった姿で力尽きて 寂しく最期を迎えるようなことになったら・・・ こんなに長生きしたし、最近は寝ていることが多いので、 そのまま眠るように息を引き取ってくれたら苦しまなくていいだろう・・・なんて思っていたけれど、 なんだかそうでないかもしれないという可能性が首をもたげ、なんだか恐ろしさを覚えました。

その後もまた転がってもがいている姿を発見し、いよいよ恐れが本当になっていきそうな気がしました。

明日は仕事で、もしもまた転がってもがいていても、助け起こしてあげることはできない・・・ 夜になって、いつもながらレイクちゃんが床にうずくまっていたので、直伝霊気(ヒーリング)をしてあげようと思ってカゴから出しました。

まだまだ噛みつく力は衰えていないので、素手で捕まえるのは結構大変ですが、 どうにか捕まえて、お腹の上に乗っけて抱っこして、上から手を当てて温めてあげました。

しばらくするとおとなしくなって、私の腕に寄りかかって寝てしまいました。

 

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かわいい寝顔です。 撫でても一向に起きません。

凶暴でこんな風に抱っこして眠るなんて、昔は考えられませんでした。

 

それにしてもかなり深く眠りこんでいるみたい?

その間もずっと撫でてあげてました。

しかし、かなり異常な無反応な状態が続き、どうもこん睡状態のようになっているようでした。

息はしているようですが、ほんのかすかにトサカが動いているのでわかる程度。

その間もずっとレイクちゃんを撫でながら、思いました。

あぁ、このまま苦しんだりしないで息を引き取るのも悪くないかもしれない…と。

その後、ふと意識が戻り、しばらくしてまた眠ったりの繰り返し。

私ももう寝ようかと思って、カゴに戻すとトコトコ少し歩いたりもしたので、 なんだかんだ言ってもまた明日が来るかな、と思ってちょっと安心して寝る支度をしていると、 また倒れ込んで転がってしまっていて・・・

心配になってまたカゴから出して抱っこして、寝かしつけました。

 

しかしながら、私もウトウトし始め、このまま一晩中抱っこしていたら潰してしまったなんて、 それこそ悔やんでも悔やみきれない事になりそう・・・ レイクちゃんがちょうど入りそうな箱に、寝かしつけたのと同じ角度になるように調整して敷きものを敷き、 そこにそおっと降ろしてみました。

まだ眠っています。

それを枕元に置いて寝ようかなと思いました。

 

27年前、レイクちゃんが私のところにやってきたころ、ヒナ用の藁の入れ物にレイクちゃんを入れて 枕元に置いて寝ていたことを思い出しました。

夜中に目が覚めて、枕元に置いておいた懐中電灯を照らして穴を覗くと「フッッ!」とレイクちゃんの 威嚇声が聞こえて、安心してまた寝たものです。

しばらく枕元に置いて横になっていましたが、蓋を閉めていた当時とは違って 今はレイクちゃんも専用ベッドに寝ている状態。蓋はありません。

夜中に起き上がって箱から出てきてしまって、私が気がつかなかったら…と やっぱり心配になって、箱ごと鳥カゴにいれて、鳥かごをベッドにすぐ下において寝ることにしました。

その晩、気になって目が覚めて、枕元にあった懐中電灯で照らしてみましたが 寝かしつけたままの姿で寝ているようでした。

ホッとしてまた眠りにつきました。

 

朝、目が覚めて箱を覗いてみると、 寝かしつけたそのままの姿で息を引き取っていました。

目もふわりと閉じて、表情も穏やか。

特に苦しんだりもせずに、旅立ったんじゃないかなと思います。

羽もきちんと閉じて整えてあげたまま、本当にきれいで、まるでまだ寝ているようでした。

でも、背中を撫でてみると、昨日までの温かさは、もうどこにもなく、 羽が少しひんやりしました。

かすかに動いていたとさかも、もう動いてはいませんでした。

 

本当に、レイクちゃんは旅立ってしまいました。

27年5か月もの長い間、ずっと一緒に生きてきました。

 

27年前の12月、小学5年生だった私は、自分へのクリスマスプレゼントのごとく 憧れのオカメインコを飼うために、貯めたお小遣いを手にペットショップに行きました。

冬だということでオカメインコはお店にはいなくて、取り寄せてもらいました。

迎えに行ったのは12月28日だったように記憶していますが、冬の子は寒さで死んでしまうことも 多いからと、1万円以上するのを割引してもらって8000円くらいで買った記憶があります。

 

実際には、レイクちゃんは元気に育ち、27年5カ月もの長い間私と一緒に生きてくれました。

そのペットショップの方が数年前にレイクちゃんよりも先につぶれて無くなってしまったそうです。

 

家を出て暮らすことになってからも、ずっとレイクちゃんは連れて行っていたので、 一緒に何度もお引っ越しもしました。

本当に27年間、ずーっと一緒に暮らしてきました。

 

噛みついたりするクセに、私の事がすごく好きで、 姿が見えないと永遠かと思うほどに大きな声でずっと鳴いて呼んでました。 うるさくて仕方なかったな・・・(笑)

頭撫でて、って頭を出してくるのもかわいかった。

耳を掻いてあげるとあくびするのもかわいかったな。

口笛のマネが得意で、布をひらひらさせると、口笛のお歌を歌うのもかわいかった。

私が帰ってくると、ヴィジェが玄関に飛び出てお迎えにきて、お部屋ではレイクちゃんが 大きな声でピー!ピー!って鳴いて喜んでくれてた。

 

レイクちゃんのいない日。

なんだか静かでウソみたいだね。

 

ル-ちゃんもレイクちゃんもいなくなって、 とうとう、ヴィジェと二人きりになってしまいました。

なんだか寂しいね。

 

小さなレイクちゃんだから、埋めてあげようかとも思ったけれど 埋めてあげるようなゆかりの地もなくて、結局お骨にしてもらうことにしました。

今日、海の近くのペット葬儀場に行ってきました。

ママも昔はお世話を手伝ってくれたので、今日は最期のお別れにきてくれました。

ヴィジェも車に乗ってお別れについてきました。

 

今日は曇り空。

なんだか、寒々しいお空と、黒い荒れた海でした。

待ち時間には、ヴィジェと近くの遊歩道でお散歩してちょっと気分を紛らわせ・・・

 

レイクちゃんは小さい骨になっておうちに帰ってきました。

レイクちゃんのお棺に入れてあげたお花を少し残して飾ってあります。

それと、葬儀屋さんからもお花をいただきました。

そのお花が枯れてなくなった頃には、 私もきっと少し落ち着いて、また前を向いて進もうって思っています。

 

レイクちゃんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

27年もの間、ずっとそばにいてくれたこと。

そして、最期は願い通りに眠ったまま苦しまずに大往生。

レイクちゃん自身はもちろん、私にも無用の苦しみ悲しみを与えずに、天国に旅立ってくれました。

レイクちゃんを通して、老衰で死ぬということ、天寿を全うするということについても、 いろいろ考えさせられています。